海外大学院への進学を決断した話(後編)
博士課程に進むか、就職するかでこれ以上ないほど悩んでいた時の話
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前回はM1の初めから、M2の春までの進路に対する考えや就活の遷移をお話ししました。今回はM2の春から夏まで続いた五里霧中の迷走期、そしてそれをいかに抜けたかについて書きたいと思います。
五里霧中の日々
M1の4月末になって持ち駒は金属加工メーカー1社、面白そうだと感じた企業研究職を志望したら2次面接で見事に落ちたという状況でした。金属加工メーカーは良さそうな会社ではあったのですが、何か違う、という違和感が拭きれませんでした。
5月ごろに入ると、大手企業のESの第一締め切りは軒並み締まり始めます。特に私の所属する農学部がよくターゲットとする食品企業や製薬会社などは締め切りも早いです。PCを開いても食品系の企業の研究職は軒並みES締め切りを過ぎ、受けられるところはほとんどない、という状態でした。そうすると、就活サイトやアプリのオススメ欄には他業種の会社が並ぶことになります。そのひとつひとつを見ながら、なんとか自分の興味や関心とその会社との共通点を擦り合わせようとしました。
しかし、志望動機が書けない。本当に、一文字も書けないのです。
自分の強みなどを答えるところはいいのですが、とにかく志望動機が書けない。就活の前に、先輩が言った言葉が頭をよぎります。「志望動機が書けんところはやめたほうがいい。俺も〇〇堂とか書けなかったもん。」
ESや適性検査などは設問数が多いものも多く、結構な労力と時間を消費していきます。本当は研究に割けるはずだった時間が溶けていく…しかも必ず志望動機のところで手が止まってしまうのに。
今にして思えば〜という言説も就活後の人の話でよく聞くのですが、私からすればあの時の焦りや崖っぷち感はいまだによく理解できます。なぜあんなにいわゆる「いい企業」に就職したかったのか、という振り返りは、「そりゃいい企業に就職したいでしょう」の一言に尽きます。いい企業、って何なのかという話ですが。とにかく不安だったのは、ここまで生きてきて両親や学校、ひいては国からかなりの額を投資されてきて、それらを返せないかもしれないということ。平均以上に投資されたという感覚があればなおその恐怖感は強いです。もし「いい企業」に入ればなんの価値を提供できるか分からないにせよ、少なくとも体面は保たれますから。
どこにも就職できなかったら、所属先が見つからなかったらどうしよう。そんな焦りが脳裏をかすめます。起業するという手段もあるでしょうが、正直その苦労をしてまで自分のモチベーションが上がるようなテーマが見つかりませんでした。起業するのは簡単でも、結局それで生きていくとなるとどうしていいか分からない、というのが本音でした。当然、「いい企業への就職」といった体裁などよりも、自身の能力や培った技術でどのような価値を誰かに提供できるか、が大事だと思っています。でも、その価値をひとりでは提供できなさそうだ、と思った時点で心底怖くなったのです。
研究室へ行くまでの道のりで、いろいろなお店やそこで働く人、通勤する人、駅員さんを眺めながら、職を得ていて社会になんらかの価値を還元できているってすごい、と思っていました。自分が生み出せる価値を自分で誰かに提供し、対価をもらうことは難しい。会社や国の機関、大学など、どこかの組織に所属しながらでないと"価値らしき"ものも生産できなさそうだ、と考え込んでいました。修士2年の5月〜6月あたりが今まで生きてきた中で一番悩んでいたし過去最高に情緒不安定でしたね。
2つの大きなターニングポイント
今振り返って、ターニングポイントだったと思える日が2つあります。
1つは海外大学院への博士課程進学を再び考え始めた日。もう1日は自己認識について捉え直すきっかけとなった本に出会った日でした。
昼間に研究室にも行かず、家で電気もつけずに椅子の上で丸まりながらパソコンを開いていて、就職サイトで見つけた企業のES。覚えているのは案の定志望動機欄が書けず、眺めていたカーソルの点滅です。たぶん、その時になにか糸のようなものがフツっと切れたのだと思います。
気がつくと、私は大号泣しながら電話をかけていました。相手は1年前に学内プログラムで出会ったスリランカ人の博士課程の学生でした。以前、海外で博士課程に進みたいと話していたことを覚えていてくれて、何かと私を気にかけてくれていた人でした。泣きながら「PCで仕事を探してる」という私に対して「博士課程に進みたかったんじゃないのか?」と驚いた様子答えてくれたのです。30分ほどのやりとりのあと、「君ならできる。僕を信じて」とまで言ってくれました。
「お昼ご飯食べずに泣いてたの?まずはご飯を食べて。それからだよ。」
この日を境にして、就活を横目に見ながらも、海外大学院への応募を本気で考え始めました。狙ったのはスイスの自然科学分野の博士課程。これも実にしょうもない理由で選んだのですが、それはまた別の機会にお話しします。それでもやはり就活のことが頭から離れず、ふらりとサイトやアプリを見ては志望動機欄を見るたびにそっと閉じるということを繰り返していました。スイスの博士課程に関しては応募サイトに登録し、必要な書類や書き上げなければいけない設問について調べ始めました。記録を見るに、5月の初旬から始めていたようですが、初めの頃は就活と行ったり来たりを繰り返し、この間にいつの日か出した食品会社1社のESが通って2次面接まで通過していました。
しかしどうにか前に向かって動き出せたものの精神面は常に綱渡りです。夜中に何度も目が覚めて、朝起きて1日が始まるたびに消えたくなるんだから重症でした。普段はストレスがかかると甘いものに手が伸びてしまいますが、胃が縮むのかとにかく食べられず、1ヶ月で2-3kg体重が減少しました。
「あかん、これは病む」
そう思ったのかなんなのか、きっかけはあまり思い出せないのですが突然いろいろな人に電話やzoomで話を聞いてもらい始めました。最初は研究室のOB、次に小学校以来の親友、趣味を通じて知り合った友人etc…。なぜか、話を聞いてもらった日はある程度精神的に落ち着き、不安症状が消えて書類に集中できたのです。味をしめて(笑)大学でお世話になっている先生からつないでいただき、お会いしたこともない大学の先輩にもzoomで相談しました。でも、話を聞いてくれた人たちはみんな悩みに真剣に付き合ってくれました。本当にいい人たちに恵まれ、励まされて支えてもらって今があります。
さて、友人に話を聞いてもらい始めた頃、もしくはその前だったかもしれません。もうひとつのターニングポイントは遅まきながら自己分析を深めるきっかけとなる、本に出会ったことでした。その日はバイトまで少し時間があり、普段訪れないバイト先の最寄りの本屋さんにふらりと入って見るとはなしに本棚を見ていました。そこでふと目に入った本を手に取りペラペラとめくった後、これは今の私にとって必要な本だ、と確信したのです。すぐに持ち帰って読みふけり、書かれた内容の通りに自己分析を深めていきました。
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いわゆる就活本だったり適性を知るための〇〇といった本ではありません。ビジネスに長年携わってきた人が自身の娘さんに向けて書いた内容だったようです。就活に足を踏み入れ始めてから少なくとも10を超える自己分析手法は見てきたと思いますが、この本の内容が今でも一番しっくりきています。おそらく私が考えていなかっただけで、自己分析手法にもある程度体系やステップごとに適した手法があるのでしょう。内省を深めるための取っ掛かりを探していた私にとっては、その本の内容くらい大まかなものが最適だったのです。そこから一週間くらいは何度も本の内容を読み直し、ノートに自分の考えや特徴について書き出していき、それが何によって裏付けされたものなのかを記していきました。その中で、自分かどういう人間で何を大切にしているのか、そこからどういった状態になっていれば幸せで、そのためには何をすべきなのか、ということを何度も何度も繰り返し考えました。
不思議なことにそうやって考えていると、自分のなかの軸が定まり始めるのか、他の情報に惑わされなくなっていきます。就活サイトは煽り文句も多いので不安になることもよくあったのですが、だんだんどうでもよくなってきました。就活では軸を探せとよく言われますが、内省を重ねてある程度これだ、と思うものがあったのであればまずはそれを軸にしていいのではないでしょうか。どうせ人間、後からいくらでも考え方は変わるはずです。進路を何に決めるにしろ、自己認識をする機会をもつことの意義はやはり自分という船の舵を自分でとっているという納得感なのだと思います。
そんな人や本との出会いもあり、徐々に精神面が回復し始め、書類提出の締め切りがあった7月初旬にはかなり明るくなっていました。この間も研究や学内の活動はある程度回し、友人たちにも会っていたことも回復を早めたのかもしれません。7月の中旬にあった食品会社の最終面接では、建物から突き出したよく分からない商品オブジェに爆笑して写真を撮るくらいには元気になっていました。面接は落ちました。軸から外れている会社だけど久々に遠出してみるか、という気持ちで行ったので特にショックもなかったです。オブジェはとても面白かったです。
そんな感じで最後の就活を終えて、スイスの博士課程の書類審査の合否を7月末まで待っていました。7月の書類審査に落ちたら半年後の12月の書類審査に出そう!と当時は思っていたものですが、今にしてみればそのスケ管大丈夫かって感じです。この博士課程に関することは、こちらで詳しく書いています。
まとめ
海外大学院検討→就活→海外大学院への応募を経て、今までで一番苦しい時期を過ごしたんじゃないかと思います。個人的には海外大学院へ合格する道のりよりもここの方が精神的にはキツかったです。その中で幸運にも学べたことが以下の2つです。
・ネットではなく現実の人に話を聞いてもらうこと
・自己認識を深めること
ネットの情報は得てして不安を煽る内容が多く、特に日本の博士課程に関する情報など本当にどうしたというレベルで暗い内容が多いです。暗い内容を毎日浴びせられていたらそれは精神に不調をきたします。当たり前です。また、ネットの情報はいい内容も悪い内容も、「自分ごと」にはなり得ないと思います。環境が変われば属性も違いますからね…。大事なのは、ネットの情報よりも近くの、または少しだけ離れた関係性の人と話をすることです。得たい情報を探すためにネットで検索するのはいいですが、他の人がどうなっているのかを知るためにネットを使うのは(とってもやりがちだけど)やめたほうがいいと思います。生の人の声や経験を聞くことは、ポジティブな話だけではないでしょうが、ネガティブなことがあっても結局その人がどうにかして生きていることは間違い無いという安心感(?)があります。挫折を乗り越えられた話だけでなく、完全失敗談や逃げ出した話をしてくれる人はとても貴重でした。
自己認識の重要性は何度もお話ししてきた通りです。自分の中で暫定的にでも軸ができてしまえば、その後の選択肢はグッと少なくなって星の数ほどあるように見えたものが嘘のようでした。重要なことは、選択肢から見るのではなく自己の掘り下げから入ること。とりあえず誰に何を言われても自分が納得しているから論じられるわ、と思うくらい考えたらかなり楽になっていきます。しかもやはり、就活でも何でも、軸から絞り込んだ選択肢の方が相手とのマッチ度が高まるので受け入れられやすいと思うんですよね…。まあ就活も面接も相変わらず超苦手なので推論でしかないですが笑。
このブログを読んでくださった皆さんが、ぜひ自分で道を選んだと思えるように願っています。
それではまた!